
兵庫県 SM様
2026年6月27日 め平山久仁子(Almama編集長)
学ぶ気持ちで介護を
夫の母を介護して20年、義母は95歳、私は65歳になりました。義母が認知症を発病したのは75歳の時でした。
心筋梗塞で手術・入院して、退院後に発覚しました。最初に「おかしい」と感じたのは、「ものをとられて」と
家族を泥棒扱いするようになったからです。
その後も、夏にもかかわらず服をたくさん着込んだり、「家に帰る」と言って外出しようとしたり、「おーい!おーい」と力を込めて何度も大声出したりしました。
当時私は45歳、息子と娘はまだ10代たっだので、お育ての真っ最中。仕事もしていました。施設入所という選択肢もありましたが、夫と相談した結果、「いずれ私たちも歳をとる。歳をとっていく姿を学ばしてもらおう」という気持ちで、自宅介護を選択しました。
私は看護師・保健師の仕事をしていたので、その経験を活かしながら、認知症の介護経験者の話も聞いて、認知症の進行を少しでも遅らせる生活習慣を心がけました、
昼夜逆転しないように毎日の生活リズムを整える、お散歩に出かけて外の空気に触れる、自分でできることはしてもらう。家族の会話も大切にしていました。
会話の中の私の言葉を義母は自分なりに考えて、その繰り返しが、少しは認知症を遅らせることになったと感じています。
生き様が、感情に色濃く
そんなに毎日の中で気づいたことが、いくつかあります。例えば、認知症の症状にはその人の生き様が色濃く現れるということです。
介護を始めた当初は、夫の妹と分担して介護をしていました。義母は私の前では妹の悪口を言い、妹のまでは私の悪口を言っていたのです。
それは義母が「自分を大切にしてもらいたい」「認めてもらうたい」という気持ちの現れで、本音は寂しいのだろうと感じました。
たまに「一緒に寝よう」と言ってくることもs理、「おーい!おーい!」と力を込めて呼ぶのも、寂しさゆえのこうだと思いました。
また、義母は父や母、兄の名前をよく呼びます。そういえば、発病まもない頃子供の時のことを思い出して、「三味線を習っていた」など、思い出話をよくしていました。義母は激動の時代を生き抜いて、大変な苦労をしながら子供を養ってきたと聞いたことがあります。だから、 一番楽しいのが子供の頃だったのでしょう。それを思い出しているのだろうとおもいました。
義母の感情やこれまでの生き方、思い出を受け止め、向き合うことが大切だと思いました。そういうふうに義母のことを受け止めても、私も人間ですから時に腹が立ち、しんどくなることもありました。
そんな時は、花など趣味に時間を使ったり、同じ介護に奮闘する友人とおしゃべりをして気分転換しました。一人で抱え込まずにケアマネに相談したりして、自分の人生も大切にすることを心がけました。

娘(孫)の結婚式にて。92歳の義母。
息子や娘、孫に向けて
私の亡くなった父も認知症でした。当時まだ20代だった私は、乳幼児と家事を抱え、仕事も忙しく、自分達のことで精一杯でした。父はどのような思いを抱いて、どのように生きてきたのか…。父本人から話を聞いたことはありませんでした。後になって姉から話を聞き、もっと話を聞いておけばよかったと後悔しています。
息子や娘、孫には、介護を通して人の生き様や年老いていくとこ、人がお互いに支え合って生きていることを身近に感じてほしいという思いがあります。夫は私より13歳年上で78歳ですから、「お父さんの話は聞けるうちに聞いておくといいよ」なんて話しています。
そんな思いが伝わってか、娘は結婚後も両家の食事会を定期的に開くなど、家族のつながりを大切の育んでくれています。
義母のおかげで、家族のつながりを今一度確認し、深めることができているのだと思っています。
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